Mar.21,1994

1994年3月21日、第三京浜保土ヶ谷PAに35匹の鷹が舞い降りた。すべてはここから始まった...。

 

管理人・黄鷹のホーク集会参加ドキュメント

 

1.プロローグ(本当にいるのか?)

 

 1994年、ホークに乗り出して4年程経過していたが、ホーク系のオーナーに出会う事が無かった。また、友人達も二輪から四輪へと乗り換え、趣味として一人でバイクに乗っていくのが辛くなっていた時期でもあった。そんな矢先、購読していたバイク雑誌の「集会のお知らせ」欄に、「鷹使い怒りの集い」という告知が載っていた。正直な所、「自分以外に本当に乗っているヤツはいるのか?」「集まっても一桁?」という思いが強かったのだが、なぜか自分以外のホークオーナーに絶対に会える予感(ホーク達が呼び合っていたのか?)を感じ、実際に参加してみることにした。

 

2.ファーストコンタクト(初めまして)

 

 3月21日当日昼、第三京浜保土ヶ谷PAに向かう。当時はまだ学生で、その日は午前中から上野毛の校舎に行っていた。環八から第三京浜に乗り、心地よいホークサウンドに酔いしれながら直線をぶっ飛ばす。「自分以外のホークオーナーに会える!」という期待感からか、ハンドルを握る手に汗が滲み、グローブが湿ってくる。料金所を抜け、PAに入る。すると...おぉ!売店の前にCB400LCが!!ホークを停め、近くにいたオーナーに挨拶した。そして一緒にPAの中央にホークを走らせた。おお!ホーク系のバイクが集合している!すごい、30台以上はいるぞ!真ん中で主催者が喋っている。どこかで顔を...そうだ、MBやGoggleで見たことある人だ。

 

3.ホーク万歳!!(肉うどんごちそうさまでした)

 

 主催者の計らいで、オーナー達に肉うどんが振る舞われた(たしか告知に書いてあった)。食後に、それぞれのホークをくまなくチェック。さすがに当時でも10年以上前のバイク、結構年期の入ったものもあったが、以外に綺麗にしている車両が多く、安心した。カスタムも趣向が凝らされていて(加工取付の嵐!)、見ていて飽きなかった。「自分以外にまだこんなにホークを走らせているオーナーがいる」と、いたく感動した。自分以外のオーナー達との情報の交換は初めての経験だった。

 

4.エピローグ(みんなまた会おう!)

 

 あっという間に時間は過ぎ、集会は終了。その後、主催者と数人で主催者宅近くのファミレスへ行き、食事をしながらホークの話しをした。今までホークの話ができる友人がいなかったのを思うと、涙が出そうになるくらいうれしかった。同じ車種に乗る仲間達には、集会に参加しなければ出会うことができなかっただろう。この仲間達との出会いは、以後のバイクライフに大きな変革?をもたらした...と思う(笑)。そして現在、主催者の方とよく会ったりしてます...。やっぱり趣味は仲間がいないと楽しくないよねえ。そう思いません?

 

 

と、いう訳で...この集会は、雑誌に掲載されました。以下の文章は主催者本人によるものです。


「鷹使い怒りの集い」1994.3.21 第三京浜保土ヶ谷PAにて

 自分の愛車の事が雑誌に、「絶滅してしまった」「中型界のカブ」「構造がいいかげん」と書かれていたとしよう。君ならドースル?だがここに、ホークを熱愛する男がいた。「冗談じゃねえ、ホークはまだ絶滅しちゃいねえ!」かくしてホーク集会と相なった!!

 

 俺は二気筒が大好きだ。その中でも特にホンダOHC3バルブ2気筒とスズキDOHC2バルブ2気筒が好きだ。街乗りをするのに一番適していると思う。かの御大、POP吉村氏も、そしてウチの父親も400ccまでは2気筒で充分と断言している。巷では4気筒、単気筒、そして2ストが巾を利かせている中、常に2気筒は裏街道を走って来た。ハーレーやBMW、ドゥカティらに代表される舶来物の2気筒は別として、特に国内中型クラスの2気筒はマイナーな存在であり続けている(もっとマイナーな3気筒というのもあるが...)。俺が愛している2気筒というのは空冷並列2本サスなのだが、その中でも特にホーク系は大好きだ。しかし彼らはライダー達にも、その他にはなおさら人気がない。喜んで使用する(していた)のは教習所と○走族位である。一般的に人気がない割に盗難され易い、アフターマーケットパーツは少ない。当然解体屋にも殆どない。他にも文句を言えばキリがない。TVドラマなどの転倒炎上シーンなどにもよく使われていた。そしてバイク雑誌での扱いが特にひどい。スペックや発売年月などは正しい方が少ない。最近発売になった××出版の○○○カタログなどは250と400を同じ写真を使って作成している。全くひどいもんだ。

 

 過去10年余のバイク雑誌を振り返って見ても殆どホーク系の特集は組んでない、というより2気筒の特集をやってない。これでは正しい情報なんて伝わる訳がない。最近はいいかげん憤りを感じていたのだが、そんな誤っている記事がホンの少し掲載されているだけでもうれしくて本を買ったりしていた。が、今年のMB誌2月号のホークの記事を見た時点で、完全に憤慨してしまった。正月早々でこちらも元気があったから、勢いこんで「じゃあホーク集会でもやったるか!」といった流れで今回の連びとなった訳だ。当日の朝まで不安はものスゴくあった。昼間用のホーク系のオーナーなんて全どいないんじゃないだろうか?肩すかしを喰って「だから2気筒はマイナーでダメなんだよ、だって2気筒でしょ?」なんて言われて終わるんじゃないのか!?なんてビビりながら現地へ向ったが、定刻前にはほぼ全員が揃ってしまった。35匹の鷹と36人の鷹使い。俺はこの日を生涯忘れる事はないだろう。この日第三京浜は間違いなく日本で一番アツい場所になった。

 

 1人1人とゆっくり話をしたかったのだが、たいして話しも出来ずに大変残念かつ失礼な事をしてしまった。この場を借りてあやまっておきたい。失礼致しました。感心し、なおかつ驚いたのが、全員オリジナリティに溢れていた事。フルノーマルで大事に乗っている人あり、自分流カスタムあり、中でもカスタムは流用パーツが多かったがボルトオンで付く物が少ない為、大方が加工して取付をしていた。オーナーの試行錯誤して額に汗する姿が浮かぶ様だ。ホーク系のカスタムは間違ってもグッドルッキンにはならない。あくまでで上品と下品の紙一重である。それはそれで良いと俺は思っている。俺にはその辺にゴマンとある、オーナーズクラブの連中や大金ブチ込みカスタム車なんかよりはるかに生き生き活発として見えた。

 

 単車は乗る物で見せる物や飾るものじゃないって事が良く理解った一日だった。皆で食べた肉うどんは今までで1番のゴチソウだった。鷹使いの皆、本当にありがとう。

 

 最後にこのページを作ってくれたBGの方々にも深く御礼申し上げたい。誠に感謝していると!

 

(二気筒親方こと人見武彦)

 

Mr.Bike BG 1994年5月号より抜粋